何をしても進んでいる感じがしない時期のことを、わたしたちはたいてい停滞と呼ぶ。うまくいっていない、遅れている、立ち直らなければ。そんな言葉で自分を急かしてしまう。
けれど長いあいだお話をうかがってきて、思うようになったことがある。
そういう時期は、うまくいっていない時期ではなく、次の形に入れ替わる途中の時期であることが多い。
あとになって振り返ると、あの停滞のあたりから流れが変わっていた、と気づかれる方がとても多いのだった。
流れが変わる前ぶれは、地味な顔をしている
前ぶれというと、劇的な出来事を想像されるかもしれない。しかし実際にうかがうのは、もっと静かで、拍子抜けするほど日常的なことばかりだ。
長く続けてきたことが、ある日ふいにつまらなく感じられる。以前は楽しみだった集まりに、行く気が起きなくなる。理由もなく引き出しの中を整理したくなる。眠りが妙に深くなって、朝なかなか起き上がれない。好きだった味つけが、急に濃く感じられる。
どれも、単独で見れば疲れの一種として片づけてしまえるものばかりだ。実際、疲れであることも多い。ただ、こうした変化がいくつか重なって、しかも数週間から数か月ほど続いているとき、その方の話す声そのものが、以前とは違う響きをもちはじめていることがある。
整理したくなるのは、場所を空けているのだと思う
なかでもよくうかがうのが、片づけたくなる、という話だ。急に本棚を空けたくなった、着ていない服を全部出してみた、連絡先を見直した。ご本人はたいてい、なんとなく、としかおっしゃらない。
私はそれを、場所を空けている最中なのだろうと受け取っている。手元がふさがったままでは、新しいものを受け取れない。頭で考えるより先に、暮らしのほうが支度を始めることがあるのだと思う。
だから、そういう時期に無理に前へ進もうとしなくてもよいのだろう。停滞に見えるあいだ、実際には内側でずいぶん働いている。休んでいるように見えて、いちばん忙しい季節なのかもしれない。
だから、そういう時期に無理に前へ進もうとしなくてもよいのだろう。停滞に見えるあいだ、実際には内側でずいぶん働いている。休んでいるように見えて、いちばん忙しい季節なのかもしれない。
何が起きるかは、そのときになってみないとわからない。ただ、いま進んでいないと感じている方が、その時間を失敗の証しだと思わずにいられたらいい。
私自身も、何も動いていないように思える時期には、そのまま置いておくことにしている。焦って形にしたものは、たいてい長くもたない。
次の流れが来たときにすぐ動けるよう、いまは手を空けておこうと決めている。
