わたしは昔から、人より少し多くのことを感じ取るほうだと思う。玄関を上がった瞬間に、その家の空気がやわらかいか、少し張りつめているか、なんとなく伝わってくる。季節が変わるひと足前に、風の匂いのわずかな違いで、それに気づいたりもする。こうした感じ方を、わたしはずっと、自分の大切な持ちものだと思ってきた。
朝、庭に出て土の匂いを吸い込むと、その日一日の輪郭がなんとなく見えてくる。同じ庭でも、日によって匂いはずいぶん違う。雨の前はしっとりと重く、よく晴れた朝は乾いて軽い。こういう小さな違いを味わえるのは、感じ取る力があってこそだと思うと、なかなか良い性質を授かったものだと思えてくる。
感じやすさは、弱さではなく豊かさのほうにある
セッションにいらっしゃる方の中にも、この感じやすさを持っている方は少なくない。人の気持ちの動きに敏感で、場の空気をすぐに察してしまう。そういう力は、ときに「気にしすぎ」と受け取られてしまいがちだけれど、わたしはむしろ、世界をきめ細やかに味わえる、豊かな性質なのだと思っている。
同じ景色を見ても、同じ音を聞いても、受け取れるものの粒が細かい。それは、暮らしの解像度が少し高い、ということでもある。花の香りのわずかな移ろいや、大切な人の声のトーンのちょっとした揺れに気づけるのは、この細やかさがあってこそだ。
感じたぶんは、静けさでそっと整える
感じ取る力が豊かなぶん、一日の終わりには、その日に受け取ったものを静かに下ろす時間を大切にしている。夜、灯りを少し落として、あたたかいお茶を一杯淹れる。ただそれだけのひとときで、日中に感じたあれこれが、ゆっくり澄んでいくのが分かる。
感じやすさそのものは、これからも変わらないと思う。ただ、それをどう受けとめ、どう休ませてあげるかは、年を重ねるほどに、上手に選べるようになってきた。細やかに感じられるということを、わたしはこれからも、自分の豊かさとして大事にしていきたい。
