火曜の朝、洗濯物を干していたら、特に何があったわけでもないのに、胸のあたりがずっしり重いことに気づいた。天気は良くて、洗濯物もよく乾きそうで、特に困りごとがあるわけでもない。それなのに、この重さは何なんだろうと、物干し竿の前でしばらく突っ立っていた。
理由を探すのをやめてみた朝
以前のわたしなら、こういうとき「なぜだろう」と原因探しを始めていたと思う。昨日の会話のあの一言だろうか、それとも寝不足だろうか、と頭の中で犯人捜しのようなことをして、かえって余計に胸が重くなっていた記憶がある。
今日は、それをやめてみた。理由はわからないままでいいことにして、ただ「今、こういう感じがあるんだな」とだけ、心の中でつぶやいてみた。不思議なもので、理由を探すのをやめた瞬間、その重さが少しだけ形を持って、ちゃんとそこにいていいもののように感じられた。
洗濯物を干し終えたあと、胸のあたりに手を当てて、しばらくそのまま立っていた。特別なことをしたわけではなく、手のひらの温度がじんわり伝わってくるのを感じていただけなんだけど、それだけで肩の力が少し抜けた気がした(こんな単純なことで変わるなら、もっと早くやっておけばよかった)。
昼過ぎ、友人に電話をかけて、「なんか今日、胸のあたりが重いんだよね」とだけ伝えてみた。理由は聞かれなかったし、こちらも説明できなかった。ただ「そうなんだ」という一言が返ってきただけで、なぜかそれだけでずいぶん軽くなった。理由のわからない感覚ほど、言葉にする前から諦めてしまいがちだけど、うまく説明できなくても、誰かに聞いてもらうだけで違うものらしい。
夕方、乾いた洗濯物を取り込みながら、朝のあの重さはもうずいぶん薄くなっていることに気づいた。理由はいまだにわからないままだけど、それでもいいような気がしている。取り込んだタオルを畳みながら、こういう言葉になる前の感覚を、誰かがただそばで受け止めてくれることの大きさを、あらためて思った一日だった。
