数年前、あるお客さまが話の途中でふと黙られたことがある。長い沈黙のあとに出てきたのは、「もう何年も前に離れた方なのに、いまだに忘れられないんです」という一言だった。
わたしは急いで言葉を返さなかった。その方の声の温度から、答えを急いでいるのではなく、ただ聞いてほしいのだとわかったからだ。忘れられない人がいる、というのはめずらしい相談ではない。むしろ、いらっしゃる方の多くが、形は違っても似たような重さを抱えていらっしゃる。
忘れられない人がいても、囚われているとは限らない
当時のわたしは、その方に何と伝えたのだったか。うまく思い出せないけれど、「手放さなくていいのかもしれません」と言ったような気がしている。忘れられないなら、忘れなくてよい。ただ、その人のことを思い出すたびに自分を責める必要はない。そう伝えたかったのだと思う。
忘れられない人がいるというのは、記憶力の問題ではなく、その人と過ごした時間が自分の一部になっているということなのだろう。手放せないのではなく、手放す必要がないだけなのかもしれない。そう考えると、ずいぶん気持ちが軽くなる。
忘れられない人を想いながら前を向くという選択
わたし自身にも、ふとした瞬間によみがえる顔がある。もう長いこと連絡を取っていない方だけれど、季節の変わり目や、似た声の響きを聞いたときに、不意に思い出す。以前は、それを思い出すたびに小さく胸がざわついた。いまは、ああ、また会いに来たな、というくらいの距離で受け止められる。
変わったのは記憶の重さではなく、わたしの持ちかたのほうだったのだと思う。その人を過去に置き去りにしなくても、いまの暮らしはちゃんと前に進んでいく。両方が同時に成り立つのだということを、時間をかけて知った。
あの日黙っておられた方も、いまごろどこかで、あのときより少し軽い気持ちでその人のことを思い出しているといい。そう願いながら、わたしも次にお話をうかがう方の声に耳を傾けようと思う。
