journal

手放すとは捨てることではなく、指の力をゆるめること

本棚から一冊抜いて、また戻した。三年前に途中まで読んだきりの本。栞は八十二ページに挟まったままだ。

クローゼットの奥で、袖口に毛玉の浮いたセーターをたたみ直す。もう袖を通さないとわかっているのに、今年も棚の同じ場所へ戻してしまった。

机の引き出しの奥に、インクの乾いた万年筆がひとつ。もう何年も書いていない。キャップを外して、また閉めて、同じ場所へ戻した。

手放す、という言葉を、わたしは長いあいだ少し狭くとらえていたのだと思う。

手放すとは、捨てることと同じではない

手放すと聞くと、どうしても処分する場面が浮かぶ。袋に入れて、口を縛って、玄関に出す。あの一連の動作が、そのまま「手放す」の意味だと思い込んでいた。

けれど字をよく見ると、手を放す、と書く。捨てるとは書いていない。握っていた指の力をゆるめる、それだけの動作なのだった。

本は本棚にあってかまわない。セーターも棚にあってかまわない。ただ、四六時中それを気にかけて、読まなければ、着なければ、と自分に言い聞かせつづける必要はない。そこに在ることと、握りしめていることは違う。そう気づいたとき、部屋の景色は何ひとつ変わっていないのに、空気だけがすこし通った気がした。

力をゆるめると、心が軽くなるまでに少し時間がかかる

とはいえ、ゆるめた指はすぐには開かない。長く握っていたものほど、関節がこわばっている。

わたしの場合、まず気づくのは体のほうだった。肩の位置がいつのまにか下がっている。息を吸う深さが変わっている。頭で納得するより先に、体が先に手を放していることがある。順番は逆でもかまわないのだと、いまは思っている。

思い出も同じなのだろう。忘れなくていい。消さなくていい。ただ、毎朝それを取り出して確かめる習慣だけを、そっとやめてみる。棚の奥にあると知っているだけで、じゅうぶんなことは案外多い。

明日お話しする方の中にも、こんなふうに握りつづけてきたものを、抱えたままいらっしゃる方がいるのかもしれない。手を開かせようとは思わない。ゆるめてもだいじょうぶだと、その方の体のほうが先に思い出すことがあるから。

手放せないものは、手放せないままでいい

結局、その日わたしが袋に入れたものは何もなかった。

本は机の端に置き、セーターは棚に戻した。万年筆だけ、引き出しから出してペン立てに挿した。それでじゅうぶんだった気がしている。全部を整理してすっきりしたかったわけではなく、握りしめていた自覚が持てたことのほうが、ずっと軽かった。

窓の外が藍色に変わるころ、部屋の灯りをひとつだけつけた。栞の挟まった本の背表紙に、光がすうっと細く伸びている。開くのは、たぶん今夜ではない。

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