心が疲れたときは、その気持ちを急いでなくそうとするより、自分を支えてくれるものがいくつあるかを思い出すほうが、足もとが落ち着きやすいのだと思う。
人でも、場所でも、習慣でもいい。支えがひとつに偏っていないことが、疲れた心にとっていちばんの余白になる。
何か大きな出来事があったわけではないのに、なんとなく気持ちが沈む。誰かに話を聞いてほしいのに、誰に連絡すればいいのかわからない。ひとりでいると急に寂しくなって、何をしていても気持ちが晴れない。
そういうとき、人はつい「どうすればこの気持ちをなくせるだろう」と考えてしまう。けれど、心を安定させる方法は、ひとつではないのかもしれない。
心が疲れると、ひとつのことに気持ちが集中しやすくなる
ご相談にいらっしゃる方のお話をうかがっていると、心が疲れている時期ほど、ひとつのことに意識が吸い寄せられていることが多いように思う。
- 恋人や好きな人からの連絡
- 職場での評価
- 誰かにかけられたひとこと
- 家族との関係
- SNSでの反応
普段なら流せることが、心が疲れていると何倍にも大きく感じられる。
そんなとき「どうしてこんなに気になるんだろう」と自分を責めなくていいのだと思う。
気になってしまうのは弱いからではなく、今は心の余白が少し減っている、というしるし。
そう受けとるだけで、肩のあたりがすこし下りてくる。
「依存しないこと」だけが、心の安定ではない
「誰かに寄りかかってはいけない」「ひとりでも平気にならなければ」と、自分に言い聞かせている方は少なくない。その真面目さは、とても尊いものだと思う。
ただ、人はもともと、完全にひとりで立っているわけではない。誰かと話して、好きなことに没頭して、仕事に集中して、安心できる場所で深く息をする。
そうやって何かに支えられながら、毎日をやりくりしている。支えられること自体は、少しも後ろめたいことではないのだと、わたしは思っている。
自分を支えるものを、ひとつにしない
- 話を聞いてくれる人
- 行くと落ち着く、好きな場所
- 夢中になれる趣味や仕事
- 散歩や音楽、ひとりで過ごす時間
- 日記など、気持ちを言葉にできる場所
全部そろえる必要はまったくない。大切なのは数ではなく、自分にとって何が支えになるのかを、あらかじめ知っておくことなのだと思う。
ひとつの支えが揺らいでも、すべてを失わないために
たとえば、恋人との関係がうまくいかないとき。恋愛が自分の世界のほとんどを占めていると、「この人とうまくいかなかったら、何も残らない」という感覚になりやすい。足もとの床が一枚しかないようなもので、そこが揺れると全身が揺れてしまう。
けれど、友人と笑える時間や、手ごたえのある仕事、好きな場所、ひとりで楽しめることがほかにもあれば、恋愛がうまくいかない時間も「自分の人生の一部分」として受けとめやすくなる。
痛みが消えるわけではないけれど、痛みに人生ごと持っていかれずにすむ。支えをいくつか持つというのは、きっとそういうことなのだと思う。
寂しいときに、無理に寂しさをなくそうとしなくていい
寂しいから誰かに連絡する。不安だから答えを探す。
苦しいから気を紛らわせる。どれも自分を守ろうとする自然な動きで、責めるようなことではない。
ひとつだけ気にかけておきたいのは、寂しさを感じたときに頼れるものが、ひとつしかない状態になっていないか、ということ。寂しくならない人を目指すのではなく、寂しいときにも自分を支えられるものを、少しずつ増やしておく。そのくらいの距離感が、長く続けやすい気がしている。
心が疲れたときこそ、自分の世界を小さくしすぎない
心が疲れると、目の前のひとつの悩みが、世界のすべてのように感じられることがある。
けれど本当は、恋愛も、仕事も、人間関係も、自分の人生の一部分。
そのほかにも、自分を支えてくれるものはちゃんとある。
「この人しかいない」「この仕事しかない」「これがうまくいかなかったら終わり」。
そう感じているときこそ、ほんの少しだけ視線を広げていたい。窓を指一本ぶん開けるくらいの、ささやかな広げ方で十分なのだと思う。
