ご相談の中で、こんなふうに聞かれることがある。「こういうことがあったのですが、この人はいったいどういう人なのでしょうか?」と。誰かの言動に戸惑い、その人の本当のところを知りたくて、ここまでいらっしゃる方は少なくない。
そういうとき、わたしがいつも意識しているのは語られた言葉そのものよりも、その人がどう動いたかのほうだ。言葉はいくらでも選べるし、その場に合わせて整えることもできる。けれど、とっさに出た行動や、ふとした言い回しにまでは、なかなか手が回らない。伺ったお話の中身よりも、そのとき相手がどうふるまったかのほうに、わたしはいつも耳を澄ませている。
以前、こんなお話を伺ったことがある。大事な話をするときはいつも穏やかな言葉を選ぶ人なのに、忙しいときに限って、お店の方への物言いだけが急にそっけなくなる。その一点だけがどうしても引っかかって、その人を信じきれずにいる、という内容だった。丁寧な言葉の奥に、余裕のないときの姿が透けて見えていたのだと思う。
似たようなお話は、テーマを変えて何度も伺ってきた。家族のこと、職場のこと、恋愛のこと。扱う内容は毎回違っても、行き着く先はいつも同じところで、結局その人が土壇場でどうふるまったか、という一点に戻ってくる。
一事が万事とはよく言うけれど、まさにこういうことなのだと思う。ひとつの行動やひとことに、その人がこれまで大切にしてきたことも、ないがしろにしてきたことも、どうしても一端が滲み出てしまう。
もちろん、たった一度の出来事だけで、その人のすべてがわかるわけではない。けれど、ふとした瞬間に表れる一端は、その方が大切にしていることを、確かに映し出しているように感じる。だからご相談の中でも、何が起きたかということと同じくらい、そのときその人がどう動いたかを、わたしは大事に聞いている。
言葉を集めるだけでは見えてこなかったものが、ひとつの仕草をきっかけにふっと像を結ぶことがある。
