朝から空が低く、湿った風がカーテンをふくらませていた。梅雨の終わりのこの時期は、天気がぐずつくのに合わせるように、私の心もどこか落ち着かなくなる。理由をひとつに絞れないまま、そわそわと部屋のなかを行ったり来たりしてしまう朝だった。
落ち着かないのは、天気のせいでもある
以前の私は、こういう日の落ち着かなさを、ぜんぶ自分の気持ちの問題だと思っていた。何かいけないことを抱えているのだろうか、と原因を探して、かえって深みにはまっていく。
今は、少し受け止め方が変わった。低い気圧や湿った空気に、心と体が反応しているだけのこともある。落ち着かないのは、天気のせいでもある——そう思えると、自分を責める手前で立ち止まれる。原因を全部わたしのなかに探さなくていいのだ、と分かっただけで、肩のあたりがふっとゆるむ。
心ではなく、手の届くところを整える
落ち着かない心そのものを、どうにかしようと正面から向き合うと、たいてい空回りする。だから私は、まず手の届くところを一つだけ整えることにしている。閉めきっていた窓を開けて、部屋の空気を入れ替える。よどんでいた風が動きだして、外の匂いがすうっと入ってくる。それだけで、詰まっていた呼吸が少し深くなる。
気が向けば、固く絞った布で床を拭く。膝をついて、目の前の一畳ぶんだけを、ゆっくり手を動かして拭いていく。考えごとは、いったん脇に置く。手のひらに伝わる木の感触や、拭いたあとの色の変わりようを見ているうちに、いつのまにか、頭のなかのざわめきが小さくなっている。
心が落ち着かない時に大切なのは、心を無理に静めようとしないことなのかもしれない、と最近は思う。整える先を、つかまえどころのない気持ちから、手の届く身のまわりへ移してみる。片づくのは部屋のほうなのに、なぜか心のほうまで、少しずつ場所が空いていく。
夕方には空が明るくなって、風がずいぶん涼しくなっていた。開け放した窓から入ってくる風が、拭いたばかりの床を渡っていく。朝のそわそわが嘘のように、部屋はしんと静かだった。落ち着かない日は、きっとまたやってくる。そのたびに、窓を開けるところから始めればいいのだと思う。
