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気を遣いすぎてしまう自分に、少し疲れてしまった夜

友人の家に六人で集まった帰り道、駅までの十分ほどを、いつもよりずいぶん重い足取りで歩いていた。楽しい時間だったはずなのに、なぜかどっと疲れていて、電車の座席に座った瞬間、ため息がひとつこぼれた。

思い返せば、テーブルに着いた瞬間から、誰の隣に誰を座らせるかとか、話の輪に入れていない人がいないかとか、そういうことばかり気にしていた。取り皿が足りなくなりそうな気配を察知して、聞かれる前に台所へ立ったり、場が少し静かになった瞬間に、なんとなく話題を投げてみたり。自分でも気づかないうちに、そういう小さな仕事を勝手に引き受けていたらしい(誰かに「お願いね」と頼まれたわけでもないのに、なぜか率先して動いてしまう)。

これは、性格の問題というより

以前、この癖を「気を遣いすぎる性格」だと思っていた時期があった。けれど最近は、少し違う見方をしている。場の空気や、人の表情のちょっとした変化を感じ取る力が、たまたま人より強く働いているだけなんじゃないか、と。
その力自体は、決して困ったものではないと思う。ただ、その分だけ「相手がどう感じているか」を読み取る作業に頭のほとんどを使ってしまって、「自分が今どう感じているか」という一番大事な部分が、いつも後回しになる。
嫌われたくないから、というだけでもない気がする。その場がふっと気まずい空気になるのを見るのが、単純にしんどい。その場にいる自分自身が、その空気をまるごと吸い込んでしまうような感覚があるからだと思う。

帰り道の電車で、スマートフォンのメモ帳に「今日のわたし、疲れた」とだけ打ち込んでみた。誰に見せるわけでもない一文だけど、こうして自分の感覚を先に書き留めておくと、次に同じような場に出るときの心の持ちようが、少しだけ変わる気がしている。

家に着いて、湯船に浸かりながら、今日の集まりの顔ぶれをひとりずつ思い出していた。みんな楽しそうにしていたし、それはそれでよかったんだと思う。ただ次はもう少し、自分の分の椅子にもちゃんと座っていたい、と思いながら、湯気の向こうの天井をぼんやり眺めていた。

明日お会いする方の中にも、こうして誰かのことばかり考えて疲れてしまう夜を、いくつも重ねてきた方がいるのかもしれない。湯船から出るころには、そんなことをぼんやり考えていた。

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